悲しいな、三沢光晴
2009年 06月 17日
久しぶりにプロレスの話題だと思ったらノアの社長兼名レスラーの三沢光晴がご存知の通り、試合中に亡くなりました。残念で悲しくてなりません。三沢さんとはアマレス時代、ライバル校の関係であり、合同合宿、スパーリングなど辛くとも良い思い出で残っています。思い出すのはS55年、徳島池田高校体育館での準決勝。こちらには後の五輪金メダリスト、小林孝至、ノアの三沢さんを慕って全日本からノアに移籍した五輪3度出場の本田多聞、そして私。相手側には私のライバル川田利明、1階級上の三沢光晴。今考えると私以外は超豪華メンバーですね。7人制で4人勝った方が勝ち。計算では小林、本田が勝ち、三沢が勝ちと予想。勝負所は川田vs私。初顔合わせ。予想では私が不利。
私の自慢はこの有名人たちと戦ったり一緒に汗を流してきたことです。その一人である三沢さんはいつも活躍が気になっていたし、すごく偉くなり有名になり強くて人を魅了するレスラーで感心の目で応援していました。現在たくさんのプロレスラーがいる中で、強くてプロレスの発展を常に考え、強いだけではなくたくさんのファンが支持する偉大なレスラーでした。新聞によると、ずっと体調が悪かったようです。我慢して無理してたんでしょうね。仲間が亡くなった感じで本当にショックです。残されたレスラーにはもっとプロレスを盛り上げて欲しいです。合掌
私の自慢はこの有名人たちと戦ったり一緒に汗を流してきたことです。その一人である三沢さんはいつも活躍が気になっていたし、すごく偉くなり有名になり強くて人を魅了するレスラーで感心の目で応援していました。現在たくさんのプロレスラーがいる中で、強くてプロレスの発展を常に考え、強いだけではなくたくさんのファンが支持する偉大なレスラーでした。新聞によると、ずっと体調が悪かったようです。我慢して無理してたんでしょうね。仲間が亡くなった感じで本当にショックです。残されたレスラーにはもっとプロレスを盛り上げて欲しいです。合掌
by spaulding
| 2009-06-17 19:05
| プロレス